都市空間化するはてなを考えてみた

企画が定まっていないから、ヨーロッパの都市のように都市計画的にデザインすることができなくって、東京のような都市になっちゃう。
<分裂勘違い君劇場:はてなのユーザインタフェースが必然的に使いにくくなる理由>

ネット以前、情報の大規模な交配淘汰が起こる場所は都市しかなかった。無秩序な都市形成が消費の一大集積地である街を産み出していく過程をモニターしながら、供給側はその中に潜むパターンを検出し、マスメディアという器官を使ってそれを増幅させ、消費を刺激する事が可能だった。一見無秩序な東京は都市空間としてはとても自然なあり様で、戦後の経済復興を成し遂げた原動力の一つなんじゃないかとすら思う。*1
んで、いわゆる情報のみで構成されるネット以降、“「ネットの世界に住む」ように生きる(©梅田氏)”人々が増えた結果として都市の機能をはてなmixiが代替するようになってきた。これがCGMとしてもてはやされている部分だと思う。ブログは若干文脈が違うなあと感じていて、トラックバック機能はゆるい連携でエッジシティーは形成するけど、大都市には成長しない。一つの流れを作るけど、それはkizasiや(昨日リリースされた)BuzzTunes、(なんか止まった感がある)blogwatcher2.0とかに計測されて終わりで、爆発的な交配淘汰は生まない。対して、はてなは「ネットワーカが都市で生活するための道具と繋がる大雑把な街路」だけ用意して、あとは交配淘汰の爆発を生む都市空間として機能するようにしているんじゃないかなあと。だから

はてなの人たちが、「はてなとは何か」がまだ見えていない』

ってのは違っていて、「はてな市民」は伊達ではなく、「ここは都市空間だ」というコンセプトの提示かと。UIが分かりにくいのは東京が混乱しているように見えるのと同じ話でしょうがない。もちろん表層的なデザインや使い勝手の向上は例えばsuicaが出来て駅利用がスムースになるようにいくらでも改善可能だと思うし、一ユーザとして切に願う。が、はてながそもそも都市を思考しているのでしょうがない部分はある。ユーザはとにかく使い倒して、局所的な情報が全体的な知恵になって行く過程を体験しながら見ている主体的な傍観者であるしかないんじゃないかなあと。あ、テストマーケ云々という話はネット上のサービスの常だし全面同意っす。
以下は蛇足というか、書いてて思ったメモ。
■世界観の違い
世界政府を念頭に置くトップダウン型のgoogleと都市から思考するボトムアップ型のはてな 「東京ってモノがネット上に発生するとして、それに必要な要件は全て作る」
■社会形態として新しい都市
最初に書いたように都市機能には現代の経済活動において優位性がある(から発達した。ついこの間まで大都市に住む人は世界人口の数パーセントでそれが現代じゃ半分以上って話がその象徴)で、その機能の一部が移行期にある今、新しい社会形態の試行錯誤なんだなと思う。仮に情報の解像度が圧倒的に向上して、街の息遣いみたいなものまでを“あちら側”に持っていけるんだったら、それは全く新しい想像範囲を超えたモノになる。でもそれって脳みそ直結プラグとかの世界。視覚・聴覚レベルに収まるってのが妥当なんだろうなあ。都市の情報交配淘汰機能ってどの程度重要なものなのかが良く分かってないんだけど、R30氏が書いていた「シリコンバレーモデル」みたい話からすると、かなりのウェイトを締めていたんじゃあないかと。少なくとも経済活動的には。
■新しいネットワーク共産主義の形
見立てによっては「ネットワーカーってgoogleの元で搾取されてる労働者的じゃねえ?」というのもありがち
■○○化する○○
ってタイトルつけるのはやっぱ安易だなあ。
■なつかしのドットシティ
を思い出した
■しかし東京
外人がわざわざこんなお世辞にも美しいとは言えない都市に大枚叩いてやってきて、そこに日本らしいナードさ・ワクテカ感みたいなパターンを見出すってのは東京に住む人間からしたら訳分からんと言うかなんというか。

「東京」の箇所は別に大阪でも福岡に置き換えても同じだと思う。海外の都市は正直わかんない。空気を感じられる程長くいたこと無いし。ただ、京都は違う。古のグランドデザインが残り過ぎてていわゆる創発的な感じの都市じゃあないと思う。ってそこから来たはてなって何?

*1:産業革命時のマンチェスターの描写とか何となく似てる。マンチェ