ジャーナリズムの教導意識

404 Blog Not Found/取材拒否の理由で展開されているNHK記者の「一体何様?」ぶりは記者もしくは所属組織固有の物なのかは分からない。分からないけど、これは日本ジャーナリズムに潜在的な“教導意識”という奴の残滓なんだと書き殴りたくなるのはなぜだ。
そもそも「邦人の為に智識を開くの一助」(明六雑誌)で骨格形成されてきたものと「人間の平等と尊厳を犯されてきた市民による闘い」という成立過程を踏んだ欧米とは違う。例え戦争加担への反省として「国民と共に立たん」*1と宣言しようが、なんだろうが、三つ子の魂百なわけで。
いや教導意識じゃなくて“公共性です”なんつったって、その根拠は独占的な構造と大量な(目の前に座ってると錯覚してる)オーディエンスでしょ。新聞で言えば戦中の大統合から生まれた寡占状態*2と得体の知れない拡張員による異常な発行部数。「僕達声がでか過ぎるんで公共扱いで」っておかしいよな、普通に。
別に海外のジャーナリズム凄い、群集知かっこいい!っていいたいわけじゃないくて、日本のメディアは「ジャーナリズムの最大の過ちは対話を拒否する事」って認識に気がつかずに高所から物見遊山してるうちに重力を振り払ってしまうように最近思う。そうなってもあんまり誰も困らないっぽいのも笑えるけど。
ここら辺の詳細は「概説マス・コミュニケーション 第4章 日本ジャーナリズムの特質」を参照。(というかこの文はこの章の要約的)ちなみにそれ以外にも教科書的に押さえておくべき点は網羅されている本だと思うのでオススメ。

*1:朝日の有名な戦後社説。ちなみに朝日の初期はいわゆる小新聞で娯楽メイン

*2:1,000紙から1県1紙の55紙まで統合した言論統制。もちろん残存者利益により生き残りの経営は安定し、今の勢力図に継続